湖畔に暮らすミュージシャンと愛犬ハンク/ターシャの日記

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2010年 03月 18日

脳溢血 脳梗塞 脳障害、ワタクソの場合(後編)

「脳溢血、ちゃんと書きます」

 脳溢血体験を綴った過去の記事を読んで頂いた方から「まとめたらいいのに」にご助言頂きました。偶然その方は同じ会社に勤めていた方です。顔と名前はお互い知っていましたが、話した事はありません。彼の弟さんが同じ病気を患い、ネットで脳溢血関係の情報収集していて偶然ワタクソの記事を発見して頂きました。ん?ひょっとしてキモサベさんでは、と連絡をいただいた次第です。
 「こう言う情報欲しい人はのんきにしていられないから、まとめて書いたら喜ばれますよ」との助言を頂き、三日三晩悩んだ末こういう形にしました。冗長な記事故、これでものんきにしていられない方にはもどかしいと思います。数回読み返しリライトを試みましたが思うにまかせず、殆ど原文のままです。

文字数の制約から2つの記事に分割しています。こちらが後編。前編はひとつ前の記事をご覧下さい。



「使者」///キモサベは発病時から歩けました。意図する事とは違うものの、言葉を発する事ができました。やられた右半身も全く動かないと言う訳ではありませんでした。この程度の患者さんは医者から見れば「軽症」です。確かに同病の患者さんの中で「軽症」なのでしょう。神に感謝します。
 医学、医療は症状の改善を目的とする訳ですから、重篤なものから対象となり、軽いものは後回しになるのも当然です。動物の名前と言われライオンしか分からなくても、人間としての機能が著しく損なわれていても、比較に置いて軽症は軽症です。脳障害のリハビリテーション・プログラムは、キモサベ程度の患者を対象にしていないと感じました。
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「障害」って何だろう、俺は一体何がダメになったんだろう、何ができなくなったんだろう、そもそも何ができたんだろう。医師の言葉を聞いてからキモサベの頭は動き始めた。能動的に「考える」ことを始めた。それまでは多分、外からの刺激に反応していたに過ぎないのだろう。
 「動物の名前か、、いくつだって言えたはずだ。名前、、名前、ああ、名前ね、これはベッドだ、あれは窓だ、そう、これは毛布。」目につくものの名前を片っ端から口に出した。だが、すぐ詰まる、分からない物だらけだ。「あの水が入っているやつ、、えっと、、、」へとへとになり中断、本日はここまで。
 言語療法士診断。看護婦は「言語療法リハビリ」と呼んでいたが、今考えるとあれはリハビリではない、単なる知能テストだ。結果によって、ああしろ、こうしろと指示とか、プログラムの提示がある訳ではない。ただいくつかのテストをし、「記憶の方はかなり改善されましたね」とか「空間位置関係認識がまだあやふやな感じですねえ」とかその時点の診断を下されるだけ。
 キモサベのリハビリをしてくれたのは母親だ。見舞いに来ると「書き取り」をやらされる。母親が新聞記事を読み、キモサベはそれをひらがなで書きとる。右手が使えないうちは左手で書いた。なぜ母が「ひらがな」で書かせたのか分からないが、「音」「意味」というような概念を整理して脳を再構築するために、非常に有効な手段だったと思う。
 最初は2、3行も書けば限界だったそうだ。疲れ果ててしまう。できばえもひどいもので、たとえば「できばえ」ということばも「でばきえ」と言った具合。
 母のリハビリは続き、言語療法士の知能テストも好結果を残すようになった。毎回同じ事を繰り返し点数がつく。どんどん点数が上がる。もの凄く嬉しかった。動物の名前もネコ科、イヌ科、類人猿、、とグループごとに思い出す戦略も使えるようになり、「はい、もうそのくらいでいいですよ」と言われるようになった。
 2週間くらい経った頃、初めて見る医師が「キモサベさん、そろそろお仕事に戻らないといけないんじゃないですか、お立場もあるでしょうしね」と言いに来た。その医師がどういう立場のひとなのかは分からなかったが、キモサベには「使者」だった。現実社会からやってきた使者


「後遺症」///血管が切れた部位、出血の及んだ範囲により、当然症状は違います。後遺症の種類も程度も違うわけです。キモサベの場合右半身の運動神経麻痺、言語障害、記憶障害がはっきり分かる症状でした。この他知能テストにより明らかになったいくつかの障害があります。空間認識障害とか視神経障害とか。しかし、さらに厄介な後遺症も沢山あります。
 パソコンで言えばCPU、 メモリ、ハードディスク、マザーボードそれぞれに大小の不具合がある状態です。深刻な機能欠損に加え、ちょっと不可解不審な動きが一杯ある状態。買い替えですね。
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キモサベは、両親が暮らす家で自宅療養をする事になり退院した。家族、脳神経外科長、主治医らが話して導いた結論だった。その時点でキモサベには、判断する能力は未だ無かったのだろう、言われるがままに従った。規則正しい生活が始まった。朝夕の書き取り、体操、食事、日課通りの毎日。。
 日課の中でキモサベの楽しみは「散歩」だった。毎日少しずつ距離をのばした。中学時代までを過ごした街、勝手は分かっているはずだった。だが、頭の中で点と点が繋がらない。汗をかきひとつずつ歩いて繋いでいった。その日は繋がっても翌日には分からない、それを繰り返しなんとか頭の中に断片的な地図がいくつかできる、しかし断片どうしは繋がらない。
 散歩の途中、店に立ち寄る「冒険」も始めた。「初めてのお使い」よろしく母に頼まれた買い物もしたが、主目的は社会との接点をもつこと、それが散歩のメインアクティビティーになった。なかでも楽器店は欠かせなかった。中心部にあるいくつかの楽器店を順番にまわった。ある日、一番大きな楽器店に立ち寄った。大手メーカーの小売り店だ。路面フロアにピアノが並んでいる。電子ピアノを見ていると二人の女性店員がやってきた。「なにか、、」ひとりが言った。ひどく冷淡横柄な響き、キモサベは頭に血がのぼった。「お買い求め頂けないようでした、お手を触れないで下さい」追い打ち、悪意の表情。キモサベは抗議したいが言葉が出てこない、その事が絶望感を呼び、さらに血がのぼる、口をパクパクするだけ。「そっそ、そういうの、やめてください。。ヒー」やっとひとこと口にすると同時にキモサベは泣きだした。店員ポカン、無理も無い、大の大人が大声で泣きわめいているのだから。キモサベはそのまま店を出た。
 家でも何度か泣きわめいた。感情が高ぶった状態で、複雑な事を説明しなくてはならない時に泣きわめいた。医者の家庭だから「おお、症状が出てるわい」程度に受け流してくれたが、なんの予備知識も無くこれをやられたら、とまどうだろう、患者自身よりも絶望するかもしれない。「壊れたお父さんが、今度は赤ちゃんになった」


「囲碁」///3日、3ヶ月、3年。。3日で障害の程度は決まってしまう、3ヶ月で回復の可能性は見える、3年のリハビリで直らないものはもうダメ。これは医師も口にする言葉です。キモサベは首をかしげます。3日で程度が決まるというのは「かもね」程度に同意しますが、可能性は3ヶ月では分かりません。どこまで回復するか、それは「意志と工夫次第」だと思います。キモサベは現在発病後10年以上経過して、まだ後遺症はありますが回復させようとしています。今でも様々な工夫をしています。そして確実にやっただけの事はあると実感しています。リハビリというのは、できない事を、できるようにする事です。楽器を習う、スポーツを習得する、ある意味同じ事です。効果的な練習、これに尽きます。
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脳神経外科医長のすすめで「囲碁クラブ」に通った。子供の頃、父親に「キモサベ、囲碁をやれ、おもしろいぞ」と何度か言われた記憶がある。興味はあったがきっかけもなく、やらずじまい。この捕らえどころの無い、曖昧な陣取りゲームが、脳障害リハビリに有効だというのだ。
 実家から4キロほどの距離に「囲碁クラブ」なるものがあった。2階建てで上にも下にも、ただ囲碁の盤が置いてあるだけの施設だ。担当者とおぼしきおじさんに来意を告げると「XX先生からきいてますよ、じゃ2階へ行きましょう」とどんどん連れて行かれた。「じゃあ子供と9路盤でやって下さい」、「とおっしゃいますと、、」何がなんだかわからないキモサベは置き去り。ほどなく5、6才の少年を伴い、手には小さな板を持っておじさんば戻ってきた。
 9路盤というのは縦横9升しかない初心者用の囲碁盤、それを使って子供と対戦しろということらしい。おじさんはルールを30秒程で説明すると「じゃあ何回かやってみて下さい。健介手加減しなくていいからな」と言うとスタスタ階段を降りて行った。「じゃあ、赤眼鏡(キモサベの事)からでいいよ」、立て続けに10戦ほどやった。10回ほど負けた。「赤眼鏡ちょっと分かってきたね、僕飽きたから、じゃあね」健介はダダッダっと階段を降りて行ってしまった。きもさべ置き去り。
 十分ほどでおじさんがやってきた。「この番号のとおり並べて下さい、あっ、今度はこっちの盤使って下さい、じゃ、ゆっくりやってください」で、スタスタっと去る。手渡された新聞の切り抜き、プロの対局が記録されている。白黒交互に番号通り並べる、ただただ並べる。ふむふむ、なるほど、あーね、、、しかし、これは何か効果があるのか、、、やがて猛烈に眠くなりそのまま爆睡。この日は帰宅後も爆睡。
 具体的な効果は定かでないが、日常にはあり得ないほど脳を使う事は確かだ。なにか良さそうな気がするぞ。。よし、次は何をしようか。


「暴挙」///「運動神経」と言うと、スポーツをする能力に関係する機能を考えますが、随意筋を動かす神経すべてが「運動神経」な訳です。ペンを持って字を書くのも、バイオリンを弾くのも、パソコンのキーボード叩くのも、頭を掻くのも、、全て。
 右半身不随、文字通り右半分の随意筋を動かす運動神経がやられてしまった訳です。しかし、どうもそれだけじゃすまないようです。右がダメになると、災難を免れた左との「能力のバランス」が崩れるように思います。顕著なのは体のバランス。

「囲碁クラブ」の帰り道、歩きながらふと気がつくと、右手を振っていない。歩いていれば自然に振れるはずの右手が、ぶらんと下がったままだ。本人は運動神経の回復に自信を持ち始めていたのでショック。直ぐにあれこれ対策を考え、「自転車だ」と結論した。タイミングよくキモサベの家の近所に住む友人が、見舞いにきてくれると言うので、愛車キャノンデール号を持ってきてもらった。
 さて、乗れるか。怖々またがり漕ぎ出した。乗れた。走った。幸せを感じた。車体を傾け旋回だ、ビューン、ガチャーン、こけた。傾くとこける。ある程度傾斜するとスイッチが切れたように、クラッとくる。それまで感じていた加速度とか重力とかの感覚がなくなり真っ白になる。「俺の脳は手抜き工事をしている、、うん、どうせこのくらいの角度までしか使わないようだから、ここから先はいいかってな具合に」、そう考えたキモサベは「手抜きは許さん」とばかり運動神経「再」リハビリ開始。
 ベッドに座ってバランス体操、人に押されても立ち姿勢維持する運動、こけながら自転車旋回、考えられる事を次々試した。しかし何をやっても歯がゆく、ある日「バイクの免許取りに行くわ」と母親にぼそっと言い、その日のうちに入校手続きを済ませた。母はどうせ止めても聞かないでしょうと思ったそうだ。
 バイク免許は、免許証を更新忘れで失効した際に失なった。再度試験を受ける時間も気力も無く、そのままになっていた。ちょうど教習所で取得できるようになったので「バランスはバイクだわ」程度の考えで入校した。軽度とは言え脳溢血を患らい、半身不随の後遺症、回復を実感し始めていたとは言え、手すりがなければ階段も降りれない。。生来の極楽とんぼ体質に障害が拍車をかけてやらしめた暴挙、、、だ。


「奇跡」///ある日、ある時、突然。運動神経リハビリ過程で何かができるようになるのは、殆どの場合、徐々にではありませんでした。ある日手を振って歩いていると言う感じです。もちろん、筋力の回復が必要なものは、一歩一歩できるようになりますが、その場合でも「自覚できる回復ポイント」があります。諦めないで続けているとある時点で急激に回復します。
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こける、またこける、立って乗って直ぐこける。教官うんざり、バイクはガタガタボロボロ、でもキモサベ一人やる気満々。教官の精神的回復を待ち、教習再開、さあ、今度こそ。。こけて、こけてこけまくる。「フー、、キモサベさん、今日もハンコ押せないよ」「はい、当然です」。
 キモサベは病気の事を内緒で入校した。入校を断られることをおそれた。しかし、異常に気づいた教官が上司に告げたらしく、ある日、キモサベの悪戦苦闘ぶりを、遠くから腕組みをしながら見ていた年配の教官が、教習の途中こちらに歩み寄ると「キモサベさん主任のXXです。大変失礼なことを、うかがうけれど脳梗塞やってませんか、、」ときり出した。
 主任は数年前に脳梗塞をやったそうだ。現場復帰を目指し、バイクにまたがり特訓をしたそうだが、キモサベの様子がその時の自分とそっくりだと言うのだ。彼は現場を諦め事務職に配置換えされた。主任の実直な話し方に、キモサベも正直に話した。「リハビリの一環と言う事であればもう少しご協力しますが、教習車を何台も壊されても困っちゃうので、2、3日様子を見てまたお話ししましょう」。。真心を感じた。
 若い教官はこの裁定に不満な様子。腕時計を見ながら、こちらは見ずに「はい、キモサベさん、あと20分、八の字やってて下さいね」とぶっきらぼうに言い残し、校舎に戻る主任の後を追いかけて行ってしまった。20分20回はこけたな。
 その翌日、予約がすいていたので2回乗った。午前中一回の教習の後、実家で昼食を済ませ2回目の教習にのぞんだ。初めて顔を見る教官だったが、いろいろ他の教官から聞いているに違いない、皮肉っぽい感じ。「じゃ八の字ね、キモサベさーん、八の字だからって8日やらなくてもいいんだよ」。!!!!頭に血がのぼったキモサベ、「ビービーッ、ビビーッ」とホーンを鳴らした。ビックリ教官「な、な、んな、、これが試験だったら中止だぞ」とどなった。キモサベはエンジン空ぶかし一発、制止をふりきりスタート。キモサベ専用と化した感のある八の字コースに入った。手前のパイロンの左をとおり、向こう側のパイロン右に向かった。パイロンを左にみて旋回。ヤマハ製のバイク、大きく傾きクルッと向きを換えた。すかさず加速、スッと車体を起こし反対のパイロンへ。ガリガリッガッガッ次の旋回ではステップが地面に当たるまで傾斜した、でもこけない、スッチ切れない。真っ白にならない。急加速、急制動、旋回、急加速、急制動、旋回、、快調、快調。。
 「いいですけど、、ネ、、ステップ擦っちゃだめですよ」教官は渋々ハンコを押してくれた。
 キセキ。。ミラクル。。


「回復程度希望申告」///これは100%キモサベの私見であります。人間は生まれてからある年齢になるまでは、一応何でもできるように出来上がっていきます。スポーツでも、芸術でも、政治家でも、漁師でも、、もちろん各要素の出来映えは人により異なりますが、何でもできる事を目指して成長します。
 しかし、一回出来上がってから壊れた場合、からだはその時必要とする事しか修復しようとはしません。それも時間制限付きで、「14日以内に必要だと意思表示しないと時間切れ」とか「これは1年のうちに言ってくれれば直すよ」というように「申告の時期」が決まっています。
 つまり、一刻も早く、少しでも多く、「修復希望の申告」をしなくてはなりません。
 さらに修復の全体規模、範囲は「申告の内容」で決まるようにも思います。つまりリハビリで手の指を動かす事だけに終始すれば、体は「指規模の修復希望」と解釈し、全ての回復が「指規模」になってしまう。反対に全身の運動を目指していれば「厄介なやつだ、でも、まあ、希望とあればしょうがない、協力しましょう」となるわけです。
 ここで言う「回復、修復」は単に運動能力に留まらず、脳の機能全体です。歩行困難な状態で言語障害、記憶障害などなどあっても、例えばトランポリンをやることにより、歩行能力だけでなく、言葉も記憶も大きな規模で修復しようとつとめてくれるのだと思います。
 もちろんこれは「申告」なので、受理され作業が始まっても、結果はわかりません。でも「ダメもと」、「申告」して損は無いと思います。
あくまでも私見、イメージのお話です。でもキモサベの確かな実感です。
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by kemosabee | 2010-03-18 21:25 | 脳 リハビリ 看病


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